Blog, 帰国後_雑記

案外悪くない


そういえば旅行中は、旅が終わりに近づくほど、帰国が楽しみな一方で、切ない気持ちにもなった。
「ああ、この一生に一度かもしれない贅沢な時間が、もうすぐ終わってしまうんだなぁ」と。
かつて暮らした場所、かつて属した社会に戻り、やがてすっかり元の生活に馴染んでいくんだろう。
今こうして世界を旅していることも、そうやって遠い過去の記憶になってしまうんだろうと思うと、帰国するのが少し、いや結構怖かった。


で、帰国して5カ月経った今、現実は予想通りになった。
元の生活に戻り、日本社会にすっかり馴染んで、旅の記憶をどんどん失っていっている。

でもいざそうなってみての感想は、「案外悪くないもんだなぁ」だった。
東京の満員電車は相変わらず憂鬱だし、社会の目も厳しいけど、意外と毎日をのほほんと生きている。
自分があの9カ月で得たものは、海外でしか得られない「体験」であり「思い出」だと思っていたけど、実はそれによって自分の中に生じた「変化」の方が、凄いことだったのかもしれない。
具体的には、長期旅行者ならではのある種の楽観とか、図太さとか、環境適応力とか。
それはその場限りの「思い出」とはまた別に、今も現在進行形で自分の中に根付いているんだと思う。
で、これから先も死ぬまで自分の一部であり続けるんだろう。
そのことに対する自己満足感が、今こうしてのほほんと過ごせていることの要因な気がする。

 
この「案外悪くない」は、現在通っている職業訓練校でもよく実感している。
実は自分、勉強が大嫌いなんですよ。
学びたい意欲はあったものの、1日6時間も座学の日々なんて耐えられるんだろうかと、内心怯えまくっていた。
事実、覚えもものすごく悪くて、「あ、わかったかも」と勘違いしては、「あ、やっぱりわかってなかった」と絶望する、の繰り返し。
とある資格試験の過去問を5回解いても合格ボーダーまで届かなかったときは泣いた。

でも、自分でも意外だけど、そんな勉強も妙に面白く感じるのだ。
それこそ中学・高校時代には拷問のように感じていた授業の時間が、今は嘘のように楽しい。
例えば資格試験の授業なんかは、実践は一切なしで、とにかくテキストに沿って情報を頭に叩き込むという、典型的な座学勉強だ。
中学・高校時代はこれが嫌で嫌で仕方なかった。
でも今は当時と違って、テキストの文章一つとっても、なんとなく情景が思い浮かぶ。
ああこれはもしかしてあの仕事で使われている理論なんじゃないかとか、世に出回っているあれの裏に実はこういう仕組みがあったのかとか。
いつのまにか、あらゆる物事を自分の知っている世界と結び付けてイメージするようになっていることに気づいた。
きっと一度社会に出て、しっかり働いた経験が生きているんだろう。
そして海外を好き勝手フラフラしたことで、そのあたりの視野がさらに広がった気がする。

そもそも資格って、長い間「慣習」でしかなかったものが、ちゃんと体系づけられて共通認識にまで高められてるっていうのがすごいよなぁ。
きっと頭のいい人たちが喧々諤々しながらつくり上げた、知恵と工夫と努力の結晶なんだろう。
こういう学問そのものへの敬意みたいのも、学生当時は持てなかったなぁ。
まぁ、一方で「受験料もっと安くしてくれねーかな」とか思っちゃってる自分もいるのだが。
だってもうすっかり資格ビジネスのカモ状態。

 
こんな感じで「案外悪くない」と思いながら生きていますが、一方で「よろしくないなぁ」と思っていることもある。
それは、海外周遊を経て以来、つい偉そうに日本の悪口を言っちゃうことだ。
自分の中で、日本に対する視線がやけに厳しくなっているのを感じる。
いわゆる「海外かぶれ」ってやつの一種なのかもしれない。
例えば、

「『おもてなし』を売りにしてる割に外国人に優しくない」
「『世界から褒められる日本』の過剰報道が怖い」
「報道の偏りに対する危機感が薄い」
「陰湿な陰口文化を感じる」
「ヨーロッパに比べてなんと子育てしにくそうな社会」
「実は社会全体で助け合う精神が薄い」
「そもそも税金への信頼がない」

などなど。
もう本当に、我ながら何様かと思う。
そもそも海外にかぶれるほどまだ海外知らんのに。
いや、それ以前に日本のことさえもまだまだ知らない。

ちなみにこういう文句は、旅中に出会った外国人に言われて気づいたこともあれば、自分自身が旅行中に見た外国(特にヨーロッパ)と日本とを比べて感じたこともある。

一番よくないなぁと思うのは、本当にただ単に、好き勝手文句を言っているだけになってしまっていることだ。
例えば「じゃあどうすればもっと良くなるか」という建設的な意見は全く持っていない。
むしろ「それこそが日本」「嫌なら海外に行こう」という具合に諦めている。

でも実は、旅行中に出会った日本人の中には以下のようなことを言う人もいた。

自分はこうして世界を旅して、「日本はやっぱり素晴らしい」と思う一方で、「日本ももっとこうしたらいいのに」と思うこともたくさん見つけました。
だから帰国したらその経験を生かして、日本をもっと良い国に、日本の未来をもっと明るいものにしていくために、自分のフィールドでできることを考えて、実践していこうと思うんです。
自分なりに、少しずつにはなってしまいますが…

これを聞いたときはもう、土下座して「生きててごめんなさい!」と叫びたくなった。
このときはまだ自分は旅行中だったけど、すでに前述したような文句を偉そうに語るようになってしまっていた。
こういう人こそ日本の財産だ。それに比べて私ってヤツは。。

環境を変えることは本当に難しい。
約11年の会社員経験でそれを痛感した。
人を動かすより自分が動く方が、実は何倍も楽な道なのだ。
会社員時代、自分は「環境を変えられないなら自分を変えればいい」という言葉を、意識的にポジティブな意味合いで使っていた。
でもこれは裏を返せば、「環境を変えるのは大変すぎるから諦めよう」というギブアップ宣言でもある。
それが悪いことだとは思わないし、事実だとも思う。
でもそこをあえて「諦めようとしない」人も、いるんだよなぁ。
心底眩しい存在だと思った。

 
とまぁ、社会や人に感動したり、ときにぶつぶつ文句言ったりしながら、全体としてはのほほんと生きている。






2017-04-28 | Posted in Blog, 帰国後_雑記No Comments » 
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