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コンテンツとしての多様性


海外と日本を行き来すると、つい両者を比較し違いを考えてしまうものだと思う。
私の場合は、日本に戻る度に、事実としての「民族同一性の高さ」と、感情としての「排他主義の存在」を実感する。

 
まず「民族同一性の高さ」については、単純に国内の外国人居住者数が、他国と比べてとても少なく感じる。
そして「排他主義」の方は、おそらく恣意的ではなく無意識に存在しているものだ。
海によって物理的に閉ざされてきた日本の住民にとっては、それはもうある種「本能」に近いものなのかもしれない。

いくら物理的に閉ざされてきたといっても、現代においてはインターネットの普及によって、海外との距離はかつてないほど近づいた。
それでもなお、日本では
「海外は危ない」
「日本が一番いい国だ」
といったセリフが当たり前に罷り通るシーンが多い。

その言葉自体の良し悪しについては、各々が自由に判断することだ。
ただ、どうしても違和感を覚えるのは、そういった言葉が自身の直接体験や調査等ではなく、他者のバイアスを通したメディアの情報のみに拠っている場合がとても多いことだ。
そしてそれをそのまま事実かのごとく他者へ発信する行為に、躊躇が生まれないことだ。
実をいうと私自身、自分の意志で海外に出るまでは、日本でそういった言葉を躊躇なく発信してきた人間である。

 
日本にいる間、とにかく嫌というほど耳にするのは、日本以外の国や国民に対する、やけに一方的なネガティブキャンペーンだ。
ポジティブな情報に対して、ネガティブなそれの方が圧倒的に多く感じられるのだ。

私が意識的にそういう情報ばかり拾ってしまっている可能性ももちろんある。
ただ、この現象は知人、公共の場での周囲の会話、メディアなどいずれの場でも見られる。
私が無意識的排他主義の存在を確信するのは、この不自然なほどの情報不平等性が理由だ。

 
自分が主張したい言説の肯定材料のみを提示して、否定材料については誤魔化すというのは、弁論術の定石ではある。
だがそれをさも「公正な情報提示」のように振る舞うのは悪質だし、受け取る側が「公正な情報提示」として捉えてしまうのも愚かだと思う。

たとえば、とある国の大統領に対するその国の世論が報じられる際、反対意見のインタビューのみ報道されると、一部の視聴者は「ほとんどの国民はこの大統領に反対なのだ」と錯覚してしまうことがある。
実際は、最低でも「インタビューを行った全人数」「その中での賛成・反対の比率」「両者の代表的な意見」等まで提示された上ではじめて判断材料になる。

日本のメディアでは、こういった情報不平等がごく当たり前に罷り通っているように思う。
国内に関する報道ではバイアスに対する批判も生まれるが、こと海外のこととなると、ネガティブなバイアスが驚くほどそのまま情報として浸透してしまう。
理性的に考えれば誰もが突っ込むであろう当たり前のことでも、海外に関する伝聞というだけで、ひどく簡単にスルーされてしまうのだ。

 
多くの場合、人は自分の意見を裏付ける情報を積極的に求めるものだと思う。
自分が嫌いな何かがあれば、それに対するネガティブな意見を探し出し、「ほら、私だけじゃない」と言って自説に自信を持つことができる。
逆に、自分が好きな何かに対するネガティブな意見を見つけてしまったら、自分の意見が否定されたようで面白くない。
ときには「なぜお前は私の意見を否定するんだ」と攻撃まですることもある。
この傾向はネット、とくにSNSに非常に顕著だ。
なかには、自分で自分と迎合する意見ばかり検索しているだけなのに、それを世論と勘違いしてしまう事例もとても多いように思う。

もちろん、ポジティブな感情についても同様の現象はある。
だが言うまでもなく、人を不快にし傷つける可能性が高いのは、無暗なネガキャンの方だ。

 
そしてこれが国際ジャンルの話題となると、さらに顕著になるように思われる。
具体的には以下のような傾向だ。
・海外に関してはネガティブな情報を好む
・国内に関してはポジティブな情報を好む

後者については、外人をわざわざ日本に連れてきて日本をひたすら褒めさせる番組などがわかりやすい。
海外の寿司職人を日本の寿司職人が一方的に指導する企画なんかも同じだが、あれはさらに海外に対するネガキャンまで兼ねてしまっている気がして、個人的には非常に性質が悪いと感じている。

海外のネガティブ情報、特に特定の国に対するそれについては、正直、もうほとほとうんざりしているくらいだ。
私自身が日本以外の国に移り住み日本以外の国籍のパートナーを持っているからというのもあるだろうが、とにかくネガキャンを受ける機会が多い。めちゃくちゃ多い。信じられないほど多い。
正直、もう耳にタコすぎて吐きそうなくらいだ。
もちろん、真に「公正な情報提示」なら、ネガティブなものであっても素直に聞くつもりだ。
それが滅多にないから吐きそうなのだ。

 
前置きが長くなってしまった。愚痴にまで発展してしまった。

海外や特定の国が実際にネガティブな要素ばかりなのかどうかは、私には正直どうでもいい。
そんなの各々の価値観によるもので、誰にも断じられないからだ。
自分で情報を取捨選択しながら、自分の価値観と照らし合わせていくしかない。

ただ、私がここまで述べてきたような、無暗に排他的なバイアスが実際に存在するなら、それはちょっと残念なことだと思う。

 
もちろん、近年では倫理的な側面から、バイアスに対する批判もかつて無いほど盛り上がっている。
多くの先進諸国では、国籍に限らず人種、性別、職業、LGBTなど、あらゆる要素を「多様性」として捉えなおし、積極的に受容する流れがもはやスタンダードになっている。
一方で日本においては、あらゆるデータから「多様性の受容」については後進国といえるだろう。

ただ、私が言いたいのは、別に
「日本も海外のスタンダートに倣ってもっと多様性を受容するべき」
とか、そういうことではない。
単純に、ポジティブな情報にも、もっと目を向けてみてもいいのではないか。
自分が意識的にネガキャンばかり拾っていないか、メディアを鵜呑みにしすぎていないか、少しでいいから自戒してみてはどうか。
そう提案したいのだ。

 
さらに、ここで最も提案したいのが、タイトルに書いた「コンテンツとしての多様性」だ。

 
ちょっと話が逸れるが、私は子供のころからマンガやゲームが大好きだった。
特に好きなのが「パーティもの」だ。
異なる特性を持つメンバーが同じ目的のもとに集い、ドリームチームを結成して偉業を成し遂げる、そういった話が大好きだった。
具体例は枚挙に暇がない。
ルパン3世、X-MEN、オーシャンズ11、南総里見八犬伝。
過去にこんな記事(「導かれし者の称号」)も書いたくらいだ。
自分もいつかそんなチームの一員になれたらと、本気で夢見ていた。

海外を自分なりに周遊してからは、その憧れは少し形を変えた。
チームをつくってともに何かを成し遂げるというのはちょっとハードルが高いが、日常の中で、バックグラウンドが自分と異なる他者と出会い交流するだけでも、この上ない刺激を得られると知った。
未知との出会いによって自分が培ってきた価値観がいとも簡単に覆されるのは、恐怖でもあったが、同時にたまらなく快感でもあった。
自分が見てきた世界がいかに小さかったか、実際の世界はいかに広いかを思い知らされて、ものすごくワクワクした。
無暗なネガティブイメージで殻に閉じこもっていたことを、心から悔いた。

以来、私の中では「自分と異質のものであってもいったん受容してみる」というのが一つの行動規範になった。
行動規範というより、マイブームという感じだ。
気をつけてそうしているわけではない。
それが単純に面白いから、ワクワクするからそうしている。
このブームはもしかしたら生涯続くかもしれないと感じている。

 
つまり私はこう言いたい。
多様性は、倫理的に受容されるべきものである以前に、受容した方が単純にコンテンツとして面白い。
色々なバックグラウンドが集まることで、きっと特別な物語が生まれやすくなるのだ。
ときに想像もしなかったような相乗効果が得られることも多い。

もちろん、多様性の共存が生み出すざまざまなマイナスポイントも理解できる。
物事には何事にもプラスの面とマイナスの面があって当然だと思う。
プラスの面だけ盲目的に信じていくつもりは毛頭ない。
その上で私は、あくまでプラスの面の一つとして、「コンテンツとしての多様性」を推していきたいと思っている。

 
ちょうどタイムリーなコンテンツとして、具体例を一つ紹介したい。

 
AKB48メンバーも参加した、日韓アイドルたちの熱い戦い!『PRODUCE 48』日本初の無料放送が決定

 
韓国の人気オーディション番組「PRODUCE101」と、日本のアイドルグループ「AKB48」がコラボした公開アイドルオーディション番組。
韓国では8月に放送終了し、勝ち残った12名によるアイドルグループ「IZONE」が10月にデビュー。
既にアジアをはじめ世界各国で人気を博し、旋風を巻き起こしている。

実はこの番組については、ハマりすぎて語りたいことが山ほどある。
三日三晩くらい語れると思う。
でもここではとにかく、これだけ言っておきたい。
「ものすごく面白いから、どうか一度観てみてください!!」

 
もう少しだけ説明すると、具体的には以下のような点が見所だ。

・韓国とのレベルの違いに打ちひしがれる日本メンバーたちが、追いつめられてから見せる度胸がすごい!
・韓国人メンバーたちの歌唱、ダンス、教養レベルのあまりの高さに驚愕!
・言葉や文化の違いにへこたれず、何度転んでも立ち上がり続ける日本人メンバーたちの努力、根性に感涙!
・日本人メンバーたちをいつも助けてくれて、言葉やダンスを丁寧に教えてくれる韓国人メンバーたちのはんぱない優しさに感動!
・日本では日陰にいたメンバーが、あえて日本のアイドルらしさを押し出して活躍したり、自身の新たな魅力を見つけたりしながら世界で再評価されていく様子が爽快!
・国籍、年齢、その他バックグラウンドの壁を越えて育まれる日韓メンバーの友情に号泣!
・国籍、年齢、その他バックグラウンドの違いにかかわらず、フラットに厳しく愛をもって指導してくれるトレーナーたちが最高!

 
実のところこの番組は、日韓共同という以前に、そもそもドキュメンタリーとして単純に面白い。
別に日韓共同という点を押し出さずとも、この番組を見ればたくさんの人が感動し、涙を流し、誰かを必死に応援したくなると思う。
でも今日はコンテンツとしての多様性について書いているので、あえて「日韓共同だったからこその面白さ」を押したい。
日本と韓国それぞれの人と文化、つまり多様性が共存したからこそ、ここまで面白い番組が出来上がったのだと私は思う。

もう何をどう語っても陳腐なので、どうか実際にその目で観てみてほしい。
約3か月半の放送、長い回だと3時間にもわたる大作ドキュメンタリーだが、最後まで見終わったときには、まるで一つの壮大な物語を読み終わったような、切なくて爽やかな感動が得られることを勝手に約束する。
なんとAbemaTVにて、本日12月19日21時から無料放送開始です!
私は今のところVPN規制で観られなそう!泣!

この番組については後日、別の記事でもう少し詳しく書こうと思う。

 
最後に、蛇足でもう一つ事例を。

私はNHKの今期朝ドラ「まんぷく」が、モデルである安藤百福氏が台湾人であるにもかかわらず、ドラマ中では純日本人に改変していることをとても残念に思っている1人である。
理由は今までさんざん述べてきた通りだ。
せっかくの多様性共存コンテンツだったのに!
台湾人と日本人との交流を描いた方が絶対面白そうなのに!

もちろん、倫理的にどうなんだという話もあって然るべきである。
ただでさえ国営放送、台湾でも放送されている朝ドラ。
いろんな意見があるのだろうが、私なんかは、台湾の人もこれを観ているのかと思う度、とても恥ずかしく、申し訳なく感じる。

百歩譲ってそういった倫理的な面を置いておいたとしても、
「戦前・戦中・戦後の日本と台湾の関係」
「当時台湾から来日した人たちのバックグラウンド」
「当時の国際結婚」
「台湾の食文化と日本の食文化の融合」
「だからこそ生まれたカップラーメン」etc.
ちょっと想像するだけでもめちゃくちゃ面白そうなコンテンツの宝庫である。
こんな魅力的な背景をばっさり切るなんて!
なんて勿体ない。勿体ないにも程がある。
描きようによっては「大地の子」並に壮大で、凄まじい、感動的な物語が描けそうなのになぁ。

なんで設定を変えてしまったのか、せめて理由が知りたい今日この頃である。

 
 
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2018-12-19 | Posted in 海外ノマド, Blog, フィリピンNo Comments » 
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