Blog, 出発前_雑記
拝啓、ソクラテス先生
私の勤めている会社は、新卒で入社した当時、
確か女性社員が7割以上、平均年齢は20代だった。
主な業務内容は、印刷物のデザイン制作。
顧客は出版社が多かった。
業界特性として長時間労働・深夜対応はもはや文化で、
終電がデフォルト、タクシーでの帰宅も少なくなかった。
自分が入社して5年を過ぎた頃から、女性社員の出産ラッシュが始まった。
産休・育休取得者が増え、時短勤務が正式に制度化された。
元々女性主体の土壌があり、会社も徐々に大きくなってきていたので、
出産理由の退職はほぼなくなり、育休後は時短で復帰することが当然になった。
どのプロジェクトチームにも、時短勤務者がいることは普通になった。
業界特性上、深夜対応を無くすことはできなかったから、
時短勤務者が対応不可能な分は他メンバーがフォローした。
子どもの発熱による突発休み、保育園からの呼び出しなど、
不可抗力の緊急事態も、対応できる他の誰かがサポートすることで補った。
私自身、ずっと「フォローする側」だったが、
生活に制約のない自分がママさん社員をサポートするのは「当然」だと思っていた。
まず社会の仕組みとして、「家族を持つ人」は優先されるべきと認識していた。
だから、それは会社という単位でも同じだと思っていたし、
そうしなければ組織やコミュニティが成り立たないと考えていた。
同時に、社会的価値が全くない自分でも、
ママさん社員のサポートという点では、
少しだけ社会に貢献できている気がして、嬉しく感じていた。
なんなら、ママさん社員の突発休みに対して、どんなに忙しくても
「大丈夫ですよ!私がやっておきますから」
と笑顔で答える自分に酔ってさえいた。
でも、そんな自己満足が、ある日突然崩れ去った。
時短勤務が定着して2年くらい経った頃、
同じプロジェクトチームのメンバーにこう言われたのだ。
もう、ママさん社員と仕事したくない
そのメンバーは、そう思うに至った理由を真剣に話してくれた。
時短じゃない社員もフルの業務量を抱えているのに、
それにプラスして時短社員のフォローを
無条件で受け持つなんて、辛すぎる。
実際、ママさん社員の突発休みのフォローのせいで徹夜も休出もしている。
でも、その勤務超過は見て見ぬ振りをされる。
時短勤務の制度だけ定着して、
実際に時短勤務者をフォローする側への配慮は何もない。
そもそも課題認識されていないから、論じられすらしない。
何より辛いのは、この辛さを言い出せないこと。
ママさん社員のことは周りが助けて当然で、
むしろ助けないなんて非人道的だという空気があるから、
こんなことを言ったら悪者になってしまう。
それに、ママさん社員が何か悪いことをしているわけじゃないのに、
ママさん社員を責めることにもなってしまう。
私にとって、このとき言われた言葉は晴天の霹靂だった。
メンバーが語った思いは、全て当然だと感じた。
実際、一言も反論できなかった。
ついさっきまで、ママさん社員のフォローを全肯定していたにもかかわらず、だ。
このとき、いろんな点でショックを受けた。
まず、メンバーがこんなに追い込まれていたことに気づけなかった。
そして、心の奥底で、実は自分も不満を感じていたことに気づかされてしまった。
ママさん社員のサポートでプライベートの予定が台無しになったとき、
本当は心の中で「不公平だ」と叫んでいたのに、
薄っぺらい偽善で隠して、直視せず逃げていただけだったのだ。
でも、何よりショックだったのは、
私の言動がいかに自分本位で、
いかに浅はかな倫理に基づいていたかを思い知らされたことだ。
本当に辛い思いをしている誰かが
「辛い」と言い出せないような空気を生み出していたのは、
他でもない、私の自己満足の笑顔だったのだ。
罪悪の感情無く、銃を乱射する人が頭に浮かんだ。
これは無意識の暴力だと思った。
周りを知ろうとせず自分の殻に閉じこもることは、
時と場合によっては、許しがたい罪になることを知った。
かのソクラテス大先生は、
自分が「無知」であることを知っていたから、
「最も知恵がある者」という神託を受けたという。
人間の多くは、自分が「無知」であることさえ知らない愚か者なのだと。
でも、このエピソードから学ぶべきはもしかしたら、
「自分が無知だということに気づけ」
ではなく、
「無知だと知った上で、知ろうとし続けろ」
ということなのかもしれない。
ソクラテスは、無知を自覚するからこそ、
生涯「探究心」を失わなかった。
人と関わり、自ら何かを発信する以上、
誰も傷つけずに生きていくことなんてできない。
でもだからと言って、開き直って終わってしまったら意味がない。
無意識に暴力を振るっていると自覚した上で、
頑張って知ろうとしていくしかない。
結局その後、時短社員をサポートする側への配慮について
全社SNSを使って問題提起し、
有志で検討会をつくり、役員も巻き込んで話し合った。
ママさん社員全員に殴られる覚悟で問題提起したけど、
結果として誰からも文句は言われなかった。
(声を上げなかっただけで、実は嫌な気持ちだった人もいたかもしれないが)
むしろ感謝の言葉を掛けてくれたママさん社員までいた。
「よく声を上げてくれた」と。
ただ、問題提起して雰囲気はほんの少し変わったけど、
結局具体的な施策を講じるまでには至れなかった。
会社も業務内容もどんどん変化して、検討会は中途半端に解散し、
私自身何も成し遂げられないまま、今年度で退職する。
情けないけど、これが私の限界だったということだ。
ドラマや映画のように上手くは運べなかった。
それでも、これがきっかけで、すごくたくさんのことに気づけた。
そもそも「時短社員とそれ以外」という括り自体、視野が狭いんだと気づけたし、
社内には言いたくても言い出せない「声」が他にもたくさん内在していることがわかった。
その「声」に、一度本気で耳を傾けて、
誰もが見れる形で机上に並べられただけでも
価値があったと、自分では思っている。
会社のこれからのためにも、もちろん自分の経験としても。
今思うと、この出来事は、
今の自分に至る上での大きなきっかけだったんだな。
「知らないままでいようとする自分」から抜け出したいと
強く思うようになったのは、これがスタートだったのかもなーと思う。
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