Blog, 出発前_雑記

7tの血液たちが10万kmを走っている

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「旅」と一言で言っても、その中身は多種多様。
「世界一周」も然りだなぁと思う。

自分にとっては、
「世界一周」って言葉自体が全然馴染みがなくて、
きっと大金持ちの道楽の話で、
自分には一生無縁なものだと思っていた。
だから「世界一周」「予算」で検索して
「150万」とか出てきたときはびっくりしたよね。
平均一千万とかだろうと本気で思ってたからね。

 
それでも、まだどこか雲の上の話だと思っていた。
なんでか自分でもよくわからないけど、

生きることに前向きで
人生の目的が明確で
行動力と決断力に溢れている

そんな人たちが
「よっしゃ、ひと花咲かせたるわ!」
って感じで行ってるようなイメージだった。
どんなイメージだ。

 
偏見も甚だしいよね。
世界一周でググると、星の数ほど体験談が出てきて、
全然そんなことないことがわかった。
むしろ、

毎日が辛くて仕方なくて
自分がどうしようもなく空っぽで
現実から逃げ出さずにはいられない

そんな人たちも多かった。
もちろん、どちらのパターンにも
当てはまらない人たちもたくさんいた。

 
パターン化するのがナンセンスに思えるくらい、
本当にたくさんのきっかけや動機があった。
その後もずっと読み続けているうちに、
みんな本質は変わらないような気がしてきた。
大局で捉えれば、
どの人も自分なりに必死に生きようとしていて、
選んだ一つのプロセスが世界一周という風に見えた。

 
私は、きっかけや動機がどんなに後ろ向きだったとしても、
お金と時間さえあれば誰でもできることだとしても、
世界一周ってやっぱりすごいことだと思う。

 
みなさん自分に厳しそうだから、
あんまり声高に叫ぶ人は見かけないけど、
やっぱ大変ですよ世界一周。

仕事辞めて、
住所も無くなって、
周りに心配かけまくってさ。
いろんなことを自分の手で一気に終わらせて、
失うかもしれないものを一つ一つ数えて。

世界一周を準備する過程で、
嫌でも人生や大切な人と本気で向き合わざるを得ない。
その上で実行まで至るのは、根性がないと無理だと思う。

もちろん過度に誇る必要はないんだけど、
謙遜しすぎたり卑下しすぎたりするのも
少し勿体無い気がする。

 
一方で、
「惰性で生きていたのだ」と己れの過去を悔いすぎたり、
人生に真剣に向き合っているように見えない他者を蔑んだり、
自分と違う生き方を「理解したくない」と視界から排除したり、
そういう話も時々目にすることがある。

そういう気持ちもすごくよくわかる。
自分も、自分の過去や他人を主観で貶めることで
渇きを潤そうとする瞬間がすごく頻繁にある。

でもこれやると、結構な高確率で、
あとで異常に虚しくなるんだよな。

 
今だから思えることなんだけど、
毎日ただなんとなく生きてるだけでも、
それもある意味「旅」と言える。
惰性で日々を送ってるように思えても、
実際は全人類が、例外なく必死に生きてるんだと思う。

 
人間1人の心臓から1日に送り出される血液は実に7tもあって、
血管の長さは伸ばすとなんと10万キロにも及ぶという。
つまり、人間1人の体の中で、
毎日7tの血液たちが10万km走っていることになる。

 
無力に打ちひしがれたとき、
この数字を思い出すと少し元気になれる。
こんなの、惰性だけじゃ無理だって。
必死じゃない人なんて存在しないんだって。
生きてるだけでしんどくて当然。

 
知らない世界を見る「旅」を決断することも、
一箇所にとどまる「旅」を続けることも、
どっちも必死で、泥臭くて、かっこいいと思う。
どんな旅をしても、
その旅をした人にしか見えない景色が必ずあるはずで、
それは尊敬に値するし、誰にも貶めることはできない。

 
退職を決意したときは、
「今のままだと絶対後悔する」と思っていた。
でも今は、もしパラレルワールドで
もう1人の自分が仕事を続ける選択をしていたら、
両手で力一杯握手して、心の底から激励したい。

あとは、パラレルワールドの自分に恥じない自分でいよう。
ゆるゆると。

 
 
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2015-10-27 | Posted in Blog, 出発前_雑記No Comments » 
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