Blog, ドイツ
肌で直接感じ取りたい
恥を忍んで告白しますが、自分はこのザクセンハウゼン強制収容所の存在を知りませんでした。
それどころか、強制収容所といえばナチスドイツ、アウシュビッツ、ユダヤ人虐殺のための施設、というくらいの認識でした。
今回ザクセンハウゼン強制収容所を訪れることにしたのも、当初行く予定だったポーランドのアウシュビッツ強制収容所を旅程の都合で諦め、「ならばドイツ国内の収容所へ」と半ば代打的に決めたに過ぎない。
でもいざ予習してみると、ザクセンハウゼンはアウシュビッツとはまた違う特質を持つ強制収容所であることがわかった。
今回知ったことを、自分のこれまでの誤解を正す意味も込めてメモしておく。
・そもそもナチスの強制収容所は目的によって種類が分かれている。
・アウシュビッツはユダヤ人虐殺を目的とした「絶滅収容所」の一つで、ザクセンハウゼンはユダヤ人以外も収容した「労働収容所」だった。(ザクセンハウゼンでは政治犯を中心に20カ国以上もの国籍の被収容者がいたという)
・初期に設置された収容所のほとんどは政治犯収容が主であり、「ユダヤ人であること」を理由にした強制収容は戦時中から始まった。そしてユダヤ人以外にもナチスによって劣等とみなされたシンティ・ロマや、なんと同性愛者も収容対象に含まれていた。
・ザクセンハウゼンは当初SAによって「オラニエンブルク強制収容所」として創設され、SA粛清後のSSによって新たに「ザクセンハウゼン強制収容所」に作り変えられた。さらに敗戦後はソ連が第一特設収容所として利用した。つまり異なる3つの組織・目的の「収容所」としての歴史を持つ。
・ザクセンハウゼン強制収容所では被収容者に対する労働の強制、体罰、虐殺以外にも、人体実験や偽札偽造が行われていた。
まず、ユダヤ人以外にもこんなに多国籍の被収容者がいたということに驚いた。
そしてアウシュビッツなどの絶滅収容所と比較すれば、労働収容所だったザクセンハウゼンの生存率は遥かに高かったということも、全く知らないことだった。
本当に恥ずかしい話だが、「強制収容所=2度と生きて出られない地獄」という単純なイメージしかなかったのだ。
単にそれ以上を知ろうとせず思考停止していたせいなんだけど。
ただ、いくら「絶滅収容所じゃなかった」と言っても、ザクセンハウゼン強制収容所は明らかにジェノサイドの第一線で、実際現場を目にした自分からすれば同じ「絶滅収容所」にしか見えなかった。
そこでは確かに、とても同じ人間の所業とは思えない、思わず目を背けてしまうほどの残酷行為が日常的に繰り返されていた。
当初2,000人強だった収容者数は開戦時には1万人を超え、大戦末期には4万7千人にも登ったという。
そして最終的にザクセンハウゼンに収容された全人数は20万人を超えるそうだ。
そんなザクセンハウゼンへは、ベルリンのフリードリヒシュトラーセ駅からSバーン1本で行くことができる。
ABCゾーンの乗車券を購入してオラニエンブルク駅まで移動する。
1時間弱でオラニエンブルク駅に着いた。
ここから強制収容所までは徒歩圏内。
ザクセンハウゼンまでの道と家々がとても美しくて意外だった。
(いや、別に陰鬱な荒野であってほしかったわけではないが)
あまりに綺麗で、つい何度も立ち止まって写真を撮ってしまったくらいだ。
20分くらいで入口に着いた。
ナチスドイツの強制収容所はどこも入場無料だそうだ。
日本語の音声ガイドがなかったので、英語の地図50セントだけ買って中に入った。
とてつもなく広大な敷地だった。
後でライフログを見たら8km以上歩いていた。
綺麗に整備されていて、一見全く恐ろしくない、むしろ美しい公園のような雰囲気だった。
でも中を巡っていくほど、綺麗な緑の中だからこそ、当時の残酷行為がより際立って心に迫ってくるようだった。
この広大なエリアに、当時68棟ものバラック(被収容者の宿舎)が並んでいた。
地図上にも書かれているし、跡地部分に丁寧に石が敷き詰められていてイメージしやすい。
本部跡や監視塔、幾つか残されている建物の中に様々な展示があった。
カンボジアのキリングフィールドと違い、いわゆる「戦犯」側の資料も豊富だったのが印象的だった。
非人道的行為が、決して偶発的・突発的にでなく、秩序をもって、集団的に、システマチックに「運営」されていたことを思い知る。
同時に、ジェノサイドに従事した人たちもまた、自分と同じ一人の人間だったことも実感させられた。
日本軍が視察に訪れたときの写真。
この写真を見たときが、ある意味で、海外に来て最も自分が日本人であることを自覚させられた瞬間だったかもしれない。
犠牲者、従事者、関わった人々のバックグラウンドまで丁寧に展示されている
プラハでデモを行い強制収容された学生が、チェコの両親にあてた手紙。
「健康に過ごしている」と嘘の記述を強制された。
人体実験や解剖が行われていた手術台。
毒入りの弾丸を撃ち込んだり、液化ガスを使った実験などを行っていたという。
関わった医師たちの資料もたくさん展示されていた。
手術室の地下は遺体安置所。
今は何も残っていない、ただの広々とした部屋。
なのにものすごく怖かった。
まだ全部見きっていないのに帰りたくなったほどだ。
被収容者たちが調理を行っていたというキッチンの壁には、当時の落書きが残されていた。
野菜たちがキャラクター化したユーモア溢れるイラスト。
絶望しかない世界で、一体どんな気持ちでこの絵を描いたんだろう。
全く想像できない。
広場の端に、3本の木の棒。
見せしめ処刑のための絞首場だった。
点呼の際に被収容者たちの眼の前で処刑された。
こうやって被収容者をくくりつけて叩くのに使う。
被収容者は自分で打たれる回数を声に出して数えないといけなかった。
気絶すると水をかけて起こされた。
耐えきれず絶命することもあった。
狭い部屋に大量に詰め込まれた硬いベッドに「収容」された。
トイレは仕切のないスペースに便座が並び、朝しか行くことを許されなかった。
もはや「人」として扱われなかった。
今までは、なぜ強制収容所を訪れようと思うのか自分でもよくわからなかったけど、今回一つ動機がわかった気がする。
頭で理解するのが難しいから、肌で直接感じ取りたいのだ。
最低でも直接見なければ、認識が圧倒的に足りない気がしてしまうのだ。
それくらい、あまりにも遠い出来事に思えて仕方がないということだ。
キリングフィールドに行ったときもそうだったけど、今回も、とてもじゃないけど「自分ゴト」には捉えられなかった。
ただただ怖くて震え上がった。
映画の中の出来事のように思えて仕方がなかった。
おそらく今の自分には、大量虐殺の歴史を「自分ゴト」として捉えるのは不可能なんだろうと思う。
でも実際に訪れることで、否応なしに「事実」を突きつけられる。
同じ人間が、何かの経緯で狂い、間違いを犯したという事実を、目を背ける間もなく「肌で実感」できる。
これは確実に、実際に訪れなければ得られない経験だと思う。
直視したくないはずの過ちの象徴を、こうして維持し続け、曝け出し続けてくれていることに感謝した。
いつか必ずアウシュビッツにも訪れたい。
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