Blog, カンボジア
いつ何処の何の選択が
7時起床。
テレビをつけたらなんとNHK BSが映った。
嬉しいなぁ。「とと姉ちゃん」はじめて観れた。
でも日本語を聞けば聞くほど英語を忘れていく気がして、途中からハリウッド映画番組に変えた。
今日はチュンエクのキリングフィールドに行く。
キリングフィールド
ポル・ポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称。最も有名な物は、首都プノンペンにあった政治犯収容所S21に付属する刑場として造られた、チュンエクのキリングフィールドである。
(wikipedia)
キリングフィールドへはトゥクトゥクをチャーターしても行けるけど、値段交渉が面倒だった自分は前日のうちにキャピトルツアーの乗り合いバンに申し込んでおいた。
送迎1人あたり4.5USD。
3人以上じゃないと催行されないらしかったが、名簿を見ると幸い既に3人名前があった。
そのうちの1人は自分と同じ日本人女性のようだった。
集合時間の前に、これまたキャピトル系列のレストランで朝食を食べた。
キャピトルさまさまだ。
ちなみに明日のプノンペン→シェムリアップ間のバスもキャピトルバス。
食べたのはハムチーズオムレツと食パン、10,000リエル。
ちなみに翌日は野菜オムレツと食パンを食べた。こっちは何故か7,000リエルだった。
キリングフィールドツアー集合時間の8時半にバス停に行くと、例の日本人女性にお会いできたので話しかけた。
名前はナオちゃん。
同じ世界一周旅行者、同じ住所不定無職、ベトナム→カンボジア→タイのルート及び移動方法まで丸かぶりという、もはや出会うことが運命だったとしか思えない女性だった。
極め付けに、なんと彼女もブロガーだった。
しかもそのブログが面白い!
思想カテゴリーの記事で笑えるネタ系から考えさせられる深み系まで幅広く、かつ読みやすい文章でどんどん読んでしまう。
オススメです、是非ご一読あれ!
TRAVEL NOTE
というわけで意気投合しないわけがなく、話が弾みまくっていたら
バンが来て乗り込んだ。
残りのお二方は欧米人らしきカップルだった。
バンの中でも話が弾みまくっていたら、あっという間にキリングフィールドに着いた。
おそらく30分〜45分程度だった。
入り口で入場料6USDを支払い、日本語音声ガイドを受け取ってスタート。
キリングフィールドおよびポルポト政権化の大虐殺については、お世辞にも「有識である」とは言えない状態で臨んだ。
ネットで解説ページを少し読んだ程度だ。
でも音声ガイドの説明がとても充実していて、無知の人間でもスムーズに理解できるように説明の流れも工夫されていたので、変に敷居の高さを感じすぎることなく見学できた。
他にも多数の言語で音声ガイドが作成されていて、この場所が多くの諸外国の協力のもと運営されていることがうかがえた。
これまで戦争博物館などには行ったことがあるけど、実際の虐殺地を訪れたのはこのキリングフィールドが初めてだった。
この上なく「実物」そのものを、音声ガイドの説明を聞きながら見学していく。
自分はこれら「実物」をかなり冷静に見学した。
いや冷静にというよりは、頭が音声ガイドの説明についていかない感じだった。
実物がまさに目の前にあるのに、今自分が立っているまさにこの場所で虐殺が行われたというのに、その事実が自分にとってあまりにも現実離れしすぎていて、どうしても実感が湧かないのだ。
「自分ゴト」として捉えられないのはもちろんのこと、過去の出来事としてイマジネーションを膨らますことさえ難しかった。
代わりに浮かんでくるのはひたすら疑問符ばかりだった。
異民族でも内戦でもなかったのに300万人殺した? 人口の3分の1?
大昔とかじゃなくて、自分が生まれるちょっと前?
諸外国は介入どころか知ることさえできなかった?
節約のため銃を使わず、赤ん坊さえも殴って殺したって、それ快楽殺人鬼とかじゃなくて?
いくら兵士でもさすがに無理じゃない?
「やらなきゃ自分が殺された」って、上層部までその証言?
ポルポト一人が狂っていた?
そんなばかな。
なんでこうなった?
なんで誰も止められなかった?
いつどこの何の選択が過ちだった?
ただただ不思議だった。
「いくらなんでもあり得ない」の連続すぎた。
ポルポトが原始共産主義に至る思考の流れ、社会背景、クメール・ルージュが政権獲得に至ったカンボジアの状況、集団心理、情報操作、
きっとあらゆるところに何らかの要因があり、一つではなく複合的に入り混じっていたりもするんだろうと思う。
一度確かに起きてしまっている以上、同じことが二度と起きないとは言えないから、再発を防ぐためには、ここに至った「きっかけ」を見つけていかないといけないんだろう。
見学ポイントの最後は、犠牲者の頭骨が納められている慰霊塔だった。
1束2,000リエルで献花することができる。
せめてそのときの痛みを少しでも共感できればと思ったけど、怖すぎて1秒もイメージできなかった。
現代からそう遠くない過ちの歴史を直視するのは怖いし、何より気が重い。
自分の無知には向き合いたくないし、個人ではどうしようもない大きさの問題をモヤモヤしたまま抱えて帰るのも辛い。
無責任だと言う人もいるだろうけど、できることなら目を背けたいというのが本音であり、普通だと自分は思う。
だからこういう場所を訪れるのは足が重くてむしろ然るべきだと思う。
でも今回キリングフィールドに来てみて、もっと気軽に向き合ってもいいのかもなぁとちょっと思った。
例えばその歴史を全然知らなくて罪悪感に苛まれていたとしても、全然知らない状態でこういうところに来て、そこで自分なりのフラットな疑問を感じて、そこから知り始めようとするで別にいいんじゃないかと。
何かと自分から壁をつくりすぎなのかもしれない。
こういったことに限らずだけど、自分にとって未知なものほど特にそうだと思う。
この後ナオちゃんと一緒にオルセイ市場に行ったんですが、キリングフィールドの感想が長くなったので別で書くか飛ばします。
ブログランキングに参加しています!
↓クリックをいただけると励みになります。
にほんブログ村