Blog, 出発前_雑記

何歳になろうと死ぬのは怖い

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最高の人生だった
1mmたりとも悔いは無い

って思って死ぬ人なんて、いるのかな。

あくまで自分個人の感覚だけど、
80歳になったって100歳になったって1000歳になったって、
やり残しをゼロにするなんて、無理じゃないのかな。
何歳になろうと死ぬのは怖いし、
基本的に嫌なもんなんじゃない?
生物としてもそれが自然な気がするんだよな。
いや、さすがに1000歳ともなると境地がネクストステージいっちゃってるのかもしれないけど

明日が来ないとわかった途端、
どうしようもなく怖くて、
取り乱しまくって、
気が狂ったっておかしくない。
それが普通だと思う。

あの人は最後まで立派だったとか、
死に顔は安らかだったとか、
きっと悔いはないだろうとか、
死に際にまつわる美談っていうのは大抵、
残された者のために語られている。
悲しみを乗り越えるためでもあるだろうし、
先に旅立ってしまった者をそういう風に解釈しないと、
自分がこれから死を迎える上で、
きっと恐怖に耐えられないのだと思う。
まともな精神で生きていけないのだ。
防衛本能に近いかもしれない。

 
私は多分、死ぬときは

やだよーもっともっと生きたいよー
ちくしょーもっと美味しいものたくさん食べたかったよー
あんなこともこんなこともしたかったよー

とかって泣き喚きまくると思う。
(その元気があれば)

「そんなの情けない」って思う人もいるかもしれないけど、
自分の場合は、多分死の恐怖は乗り越えられないし、
最後まで欲に塗れてるくらいがちょうどいい気がしている。

 
ただ、できることなら、
可能な限り、そのときを迎える直前まで、
いつもの自分でいられたらいいなとは思う。

音楽に感動して、
ドラマにキュンキュンして、
映画に涙して、
どうでもいいことを人にだらだらと語って、

そういう感覚を最後の直前まで持っていられたら、
多少は人生に満足できる気がする。

 
そのためには、やっぱり
側に誰か居てくれた方がありがたいなーとも思う。
自分を失わないためには、客観性が必要だ。
1人で実現するのは、少なくとも自分の精神力では難しい気がする。
勝手な話かもしれないけど。

まだリミットが見えていなくても、
ふと無性に怖くなるときもあるよね。
そういうときも、夜一緒に居てくれる人がいたらいいのにと思う。
常にじゃなくても、そのときだけでもいい。
コンビニで売ってるくらいの手軽さでもいいと思う。

 
今生で出会う人は、
自分含め誰も死を経験したことがないから、
イメージのソースがどうしてもフィクションになっちゃうんだけどね。

例えば、HUNTER×HUNTERのコムギのような終わり方は、
ものすごい究極だなと思う。
自分はこの日のために生まれてきたのだと悟って、
その役割を果たしてから、心底満足して自ら終わりを迎える。

現実にもこういう境地ってあったりするのかな?
さすがにフィクションかな。

 
もう一つ衝撃だったのが、
東野圭吾の「時生」
明日だけが未来じゃない
がキャッチコピーなんですけどね。

これは、
自分に明日が来ないとわかっても、
自分の大切な人が明日を生きると思うだけで、
未来を感じながら人生を終えることができる。

というメッセージの作品。
(シモーネ解釈)

こんな風に思えることって、現実にもあるのかな。
全然想像つかない。

 
ただ、これを読んだときに、
真っ先に自分の母のことを思い出した。

確か「ディープ・インパクト」(映画)観てるときだったかなー
母がすごくさらっと、

そりゃー自分の娘を助けられるなら
私も迷わず隕石にぶつかりにいくわ

みたいなことを、
それはもうすごくさらっと言ったんですよね。

 
これ、もう母は多分覚えてないと思うけど、
自分の中では結構衝撃で、印象に残っている。
で、実際母なら確かにそうしそうだなとも思ったから、余計覚えてる。

世の中には子どもを殺す母親だっているから、
「母親とはそういうものだ」とかは思わないんですけどね。
ただ、自分と同じ人間で、
そういう境地(他人の未来のために死ぬ)に達する人もいるんだなと、
不思議な気持ちになった。

 
なんか、こういうことを、
気軽にっていうと少し語弊があるけど、
もう少し普遍的に話してみたいなと思う。
嫌悪を感じる人もいるだろうし、
正直、自分にとってもハードル高いけど。

でも、時期や状況に違いはあれど、
全生物に必ず訪れることなわけで。

少しでも後悔を減らすために、
直前まで自分らしくいるために、
怖がりながら逃げながらでも、
普段からイメージしといていいんじゃないかなと思う。
リミットが見えるまで、思考から不自然に排除するくらいなら、
少しくらい気軽に語ってみてもいいんじゃないかな。

ちなみに、これと近しいことを性教育や下ネタに対しても思ってるんだけど、
その話はまたいずれ機会があれば(あるのか?)

海外だと、死生観は宗教とセットで語られるシーンも多そうな気がするんだよね。
だからもしかしたら日本より概念の在り方としてナチュラルだったりするのかも。
あるいはそれも偏見で、実際はそんなこともなかったりするのかな。
できれば、世界一周中にその辺の空気感も感じてみたい。

 
 
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2015-11-13 | Posted in Blog, 出発前_雑記4 Comments » 

コメント4件

 やよん | 2015.11.15 14:17

やっぱりシモーネさんの考え方とてもステキで好きです。
死に変えても守りたいっていう人がわたしにもいつか現れたらいいなあ 笑

(クリスマス前でちょっとセンチメンタルになってますww)

 シモーネ | 2015.11.15 20:05

>やよんさん
恐れ多いコメント、ありがとうございます…!!
とても励みになります。

“死に変えても守りたいっていう人がわたしにもいつか”
私もそれ、すごく思います(ノД`;)・゚・
クリスマス前ってのも超共感です。
クリスマスの雰囲気好きなんですけど、街でカップル見るたびに「ケッ」ってなりますw
こんなんだからダメなんだろうなぁw

 やよん | 2015.11.16 0:07

わたしもです、同じです(笑)
「ケッ」と思いながらも心の奥底では羨ましくて仕方がないやつですw

友人からはジャニーズじゃなくて現実を見てと諭されましたw まずはジャニーズ卒業しないとなんですかね、、、(´Д` )

 シモーネ | 2015.11.16 0:31

>やよんさん
それ、私もよく言われますー!!
きっとジャニオタあるあるなんですねw
自分では、そこんとこちゃんと分けてるつもりなんですけどねぇ(´・ω・`)
分けてるように見えないんだろうなw

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