Blog, フィリピン
追いかけるほど離れていく
7時起床。
<本日の食事>
朝食:根菜炒め、目玉焼き、パン、炒飯、お吸い物、リンゴ
昼食:サラダ、鶏肉と野菜の甘ダレ煮、ご飯、お吸い物
夕食:ポテト炒め、オムライス、お吸い物
今日は住みこみスタッフAちゃんの仕事のレクチャーを受けた。
この学校には、AちゃんとSちゃんという2人の住みこみスタッフがいる。
2人とも大学に通いながら働くワーキングステューデント。
フィリピン人は基本的にみんな明るいけど、この二人はなかでも群を抜いて明るい。
それでいて気が利いて働き者で、生徒はもちろん、先生たちも他のスタッフもみんな、二人をとても頼りにしている。
特に、先にこの学校で働き始めたAちゃんの仕事ぶりははんぱない。
Officeアプリを使っての諸データ作成、単語テスト監修、生徒の入退寮のスケジュール把握、空港ピックアップや街の案内、部屋の準備、食事の準備や材料の買い出し、生徒の御用聞きetc.
さらに、Aちゃんは学年トップで表彰されちゃうほどの才女で、なんとこの学校の教員試験もパスしてしまったため、教師としてフリーカンバセ―ションのクラスを受け持つこともある。
自分も2回くらいフリーカンバセ―ションの授業をやってもらった。
大学生やりながらこんなに働いてるなんて、本当に頭が下がる。。しかもまだ19歳。
「手伝えることあったら言ってね」って言っても「大丈夫!言うほど忙しくないよ」と笑顔で答える。なんかもう惚れそうになる。
いや、さすがに惚れはしないけど、AちゃんとSちゃんを見ているとあまりに眩しすぎて、何とも言えない切ない気持ちになる。
ドゥマゲッティはフィリピンの中では街がとても綺麗な方だし、おしゃれな場所もあるし、何より治安がとてもいいから、陰の部分は表立っては見えにくい。
それにスタッフも先生たちも底なしに明るくて、日本人である自分たち生徒にも良い意味で同じ目線で接してくれるから、普通に話しているだけならそんなに環境の差を感じないかもしれない(←単に自分が鈍感で無神経だから感じ取れてないだけかもしれない)
でもときどき、彼らが何気なく放つ言葉に、フィリピンという国がまだまだ貧しくて厳しい環境であることや、彼らの生い立ちが日本人である自分とは決定的に違うことを実感する。
最近特に驚かされるのは、フィリピン人にとっては若い年齢での「死」がそんなに特殊ではないらしいということだ。
(少なくとも自分の感覚と比較した限りではそう感じた)
親戚や近しい家族の誰かを、30~40代とか、かなり早い年齢で亡くしている人がとても多い。
日本人の感覚からすると、痛ましすぎて聞いてるだけで悲しくなるんだけど、それが逆に変なのかって思わされるくらい、彼らはいつもあっけらかんと話す。「いやー死んじゃったんだよねー」って。
もちろん彼らもすごく悲しんでるし沈んでると思うんだけど、自分だったら当然感じるであろう「(若すぎる死という)理不尽な出来事への不平」とか「救いようのない絶望」みたいなものがあまり感じられない。
そもそも「理不尽だ」という思い自体があまりないのかもしれない。
いや、でもこれも、単に私が鈍感で無神経すぎて、表情の裏側を察しきれていないだけかもしれない。
留学を経て、誰かと仲良くなるのに言葉や文化の違いは関係ないと思えた。少なくともここドゥマゲッティでは。
でも相手のことを知れば知るほど、本当の意味での「距離」も感じてしまうようになってきた。
長くいればいるほど、仲良くなればなるほど、逆に距離が遠くなるとは。むしろ逆だと思ってたんだけどなぁ。
同時に、ここ最近特に、この場所では自分こそがフォーリナーであることを改めて実感させられている。
夜中にyoutubeで自分が所属していた楽団の演奏を聴いて、懐かしさのあまりちょっと泣いた。
日本に大事なものがたくさんあるけど、今の自分にとってはあの場所の音楽が一番恋しいと思った。
日本にいて休団してたときは、ここまで淋しく思わなかったんだけどなぁ。
これはもしや俗に言うホームシックってやつだろうか。
特にマンドニコのペロータがやばい。聴くといろんな思い出がフラッシュバックする。
自分このときの演奏会出てないんだけどね。
26時半就寝。
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コメント2件
シモーネ | 2016.06.05 11:34
>passoaさん
おお、そうなんですね…!
ただ、私も身近な人を亡くしたことが無いわけではなくて、相対的に「数が多いな」と感じたのでした。書き方がわかりにくくすみません^ ^;
でも少なくともpassoaさんは私より多そうですし、もしかしたら日本人の中でも多い方かもしれないですね。
passoa | 2016.06.04 20:26
どうでしょう、鈍感と言うよりも
ある意味幸運だっただけかもですね。
結構日本でも若い死と遭遇することも多いですし。
私の場合、高校の時に中学校の同じ部活だった別クラスだけど同学年の子が亡くなってるし、
大学時代には、高校の同級生が亡くなり
ついこの間は従兄弟が40代で亡くなってます。
なんだろう、逆に自分は死別に会いすぎ?