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1月28日(月)
やっぱり夢じゃなかったか。
嵐が2020年で活動休止。
今日は日記を止めて、嵐さんのことを少し。
会見の映像を観た。
自分たちで引き際を決めるのなら、100点満点の幕の下ろし方じゃないだろうか。
これ以上の美しい終わり方はきっと無いだろうと思った。
例えば、休止を言い出したのがリーダーであると正直に公表したこと。
それを信じるかどうかは人それぞれだが、少なくとも理由を明確にしたことで、妙な憶測の芽をいち早く摘んだ。
そして発表から休止までに2年もの期間を設定したこと。揺るぎない覚悟と誠意が感じられた。
「普通の生活がしてみたい」というリーダーの言葉も、トップアイドルとして十分すぎるほど説得力があるものだった。
何より、メンバー一人ひとりの受け答えや、5人が醸し出す雰囲気、すべてが「ああ、これこそが嵐だなぁ」と納得させられてしまう、そんな素晴らしい会見だった。
でも、皮肉なもので、彼らが誠意を尽くしてくれればくれるほど、ファンは悲しみのやり場を失ってしまうことも事実だ。
彼らの誠実さに応えなければならないと、無理をしてしまうファンも多いんじゃないだろうか。
私はオタク活動をしていた6年間で、嵐のファンがいかにかっこいい人たちかを知った。
ファンとしての自分に芯を持ち、まっすぐに筋を通して応援する強い人たちだった。
今も、涙を堪えて必死に前を向こうとしているような気がする。
人生をかけて追いかけてきた存在を失う、その喪失感は他の何にも埋めることはできない。
さらに、芸能活動そのものも休止してしまうリーダーのファンにいたっては、2021年以降は彼を目にする機会さえも失ってしまうのだ。
それがどれほどの絶望か、一度でもアイドルを必死に追いかけたことがある人ならわかると思う。
私は、せっかく2年も準備期間をくれたのだから、今は思いっきり泣いてもいいんじゃないかと思う。
少しくらい、愚痴や恨み言も言ったっていいと思う。
会見から見えた彼らの誠意には感銘を受けたし、会見以降の「ファンも彼らの誠意にこたえよう」という空気も「ああ、さすが嵐ファンだな」と感動するけど、一方でそれが、まだ前を向けないファンをあまり追い詰めなければいいなと思う。
そんなにすぐに前を向けるわけがない。悲しみに浸る時間だって必要だ。
最後に、リーダーのことも少し。
15周年のときに「ずっと嵐でいよう。5人でいよう」と言い切ったリーダーが「嵐を抜けたい」と言い出したというのは、個人的には意外だった。
きっと「普通の生活をしてみたい」というあの言葉の背景には、会見で語ったことだけではない、私には想像もつかないような深い何かがあるんだろうと感じた。
そしてその何かをファンが知ることは、きっと永遠に無いんだろう。
アイドルとファンという関係性である以上当たり前のことだけど、その永遠の壁が改めて切なかった。
でも、同じ人間として慮れることもある。
私自身に照らし合わせれば、新卒から10年以上勤めた会社を辞めて旅に出たことを思い出した。
出国当日、何もかもから自由になった瞬間のあの高揚感は忘れられない。
間違いなく、人生で一番テンションが上がった日だった。
リーダーと私とでは同列に語れることなど何一つないとわかっているが、2021年を迎えたときに、リーダーもあの日の私と同じような解放感を味わうのかもしれないと想像したら、なんだかとても幸せな気持ちになれた。
たとえ彼の姿をもう二度と見ることができないかもしれなくても、それはとても素敵なことだと、心の底から思える気がした。
今の涙が涸れる頃には、きっと前を向いて応援できるだろう。
それにしても、もうファン活動を離れて3年も経つというのに、こんなにショックを受ける自分に我ながら驚いた。
もしかしたら、私は心のどこかで、「戻りたくなったらまたいつでも戻れる」と思っていたのかもしれない。
15周年のときのあの言葉に甘えて、嵐もリーダーもずっとそこにいてくれるはずだと、勝手に思い込んでいたのかもしれない。
虫がよすぎたんだなぁ。
やっぱり心の整理がつくまでにはもう少し時間がかかりそうだ。