Blog, 出発前_雑記

客観性を持って自分ゴト化する

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我ながら安っぽいビジネス書みたいなタイトルだ。

 
「何歳になっても死ぬのは怖い」にも書いたけど、
気軽に語るのはどうも憚られるというか、
どうしてもハードルが高く感じる話題というのがある気がする。

政治
宗教
戦争
人の生き死にに関わること

etc.

 
自分の場合は、

語れるほど当事者じゃない
語れるほど有識者じゃない
主義・主張として表明できるほどの芯がない
否定されるのが怖い
浅はかなヤツだと思われたくない
面倒なヤツだとも思われたくない

等々が理由で、気軽に語れない。

でも、何も語れないくせに、
それらのテーマに対して、何らかのもやもやは抱えているのだ。
だから、そんな自分に対して、
罪悪感に近いほどのコンプレックスを持っていたりする。
いっそ何の関心も持たず、何も知ろうとしない人の方が、
よっぽど潔くて清廉なんじゃないかとさえ思うこともある。

 
あんまり根拠はないけど、
自分みたいな人って結構多いんじゃないかなー。
単にゆとりと言われたらそれまでなんだけど。(自分はゆとり前世代だけど)
池上彰氏の需要とか、まさにこういう層な気が。

 
でもやっぱり、「何歳になっても死ぬのは怖い」と同じで、
戦争もテロも、不自然に思考から排除するくらいなら、
語るハードルをもっと下げてもいいと思う。

別にいいじゃん、
間違ったって、否定されたって。
もちろん、無意識に誰かを傷つけすぎないように、配慮は必要だけど。

 
とはいえ、
例えば海と大陸の遥か向こうで起きたテロに対して、
口でいくら「他人事じゃない」と言っても、
実際に当事者意識を持つことは難しいと、自分は思う。
(その土地や暮らす人たちと個人的なつながりがある場合は別)

そこはもう、
「しょうがない」で割り切ってもいいんじゃないか。
失恋したときに、失恋したことないヤツから
「わかるよ、その気持ち」とか言われても、「いやいやお前」ってなるし。
だからって当事者しか語れないっていうのも、排他的で淋しいし。

気持ちを完全に理解してもらえなくても、
ただ黙って隣に居てくれたり、
朝まで一緒に飲んでくれるだけでありがたいときもある。
遠いからこそ、あえて客観的なままで。
そういう役割ってことでも、別にいい気がする。

それこそ、当事者の気持ちになろうとして、
結果やっぱり無理で、結局思考停止するくらいなら。

 
もちろん、当事者意識まではいかなくても、
他者を理解しようとする上で、
自分の中でイメージを具体化することは必要だと思う。
それがないと、知ろうとするモチベーションも生まれない。

だから自分の場合は、
できるだけ客観性を持って自分ゴト化するように心がけている。

 
「自分ゴト化」には幾つか方法がある。

 
1.身近な出来事に例える

例えば、国対国の戦争を、あえて個人対個人の喧嘩に例えてみる。

友達Aを友達Bが殴った。
両者の友達である自分は、二人から何らかの立場表明を迫られている。

こう考えるだけで、いろんなことを知りたくなる。
BがAを殴る前、二人はどんな会話をしていたのか、
二人の関係はいつから悪くなっていたのか、
AからBに対して非道いことはしていないのか、
等々。

これを、例えば今回のパリとISIL、
パレスチナとイスラエル、
インドとパキスタン、
中国とチベット、等々
いろんなケースに当てはめていくだけで、
自分が調べるべきことが少し明確になる。

もし、背景を全く知ろうとせずに、

パリでテロが起きた! → ISILマジ最悪 → イスラム教マジヤバイ

って思考回路になってしまったら、それはニアリーイコールで

経緯は何も知らんけどとりあえず友達Bが完全悪者だから絶縁する

みたいな思考回路なんだな、と気づける。

 
2.自分と無理矢理結びつける

例えば、第二次世界大戦を自分ゴト化して考えようとするなら、
祖父母の体験談を直接聞くのが一番手っ取り早い。
自分の身近な人の視点に立てるので、一気にイメージが湧く。
そこを起点に、自分の中で関心の幅が広がっていく。

でももう、祖父母に直接聞ける世代も限られますね。
私自身も、今はもう直接聞くことができない。

あえて、自分の中の別の興味・関心から
アプローチするのもありだと思う。
戦争は知らないけど零戦には興味があるとか。
あの映画のあのシーンに出てきた空襲は本当にあんな感じだったんだろうかとか。
「もし自分がその場所やその時代を旅行するなら」で妄想してみるのも有効。
入口やきっかけはそんなもんでも十分だと思う。

 
こういうことをして、
多少なりとも自分ゴト化のイメージをした上で、
欲しいと思う情報を自分なりに調べていく。

多分、その出来事が起きた場所に実際に行ったり、
当事者に直接話を聞くのが一番なんだろうけど、
戦争やテロとなるとそれはできないからな。。
(でも戦場ジャーナリストの方々は、きっとそういう意識なんでしょうね)

それに、実際は複数の国家・組織の利害や思惑が絡み合っていて
なかなか単純には把握できなかったり、
本格的に知ろうとすると調査の切りがなくて余計混乱したり、
バランス感覚や調査のコツも必要で、難しい。

それ以前に、そもそも
殺戮者を理解したいと思えなかったり、
そんな悠長なこと言ってられるほど安全じゃなかったりで、
そのへんも難しいんですけどね。
何より、自分がもし当事者だったら、
とてもじゃないけどこんな風に思う余裕はないだろう。

 
それでも、相互理解の努力までも無くなってしまったら、人類が詰む。
いや、人類背負うつもりはないけど。(そんな器もないけど)

客観的に、フラットに、適度な距離感で、
知るところから始められたらいいなと思う。

 
 
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2015-11-19 | Posted in Blog, 出発前_雑記No Comments » 
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